天竜川へのメッセージ

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 静岡新聞・SBSでは「エコプロジェクト」と連動して「永遠の天竜川」キャンペーンをを展開しています。天竜川流域および県西部地区住民が“天竜川に目を向け”“天竜川について考え”「天竜川の恵み」を再認識することを目的としています。キャンペーン2年目の2005年度の企画のひとつとして「天竜川へのメッセージ、天竜川からのメッセージ」を募集しています。
  天竜川への思い
  天竜川の思い出
  天竜川をこうしたい
  天竜川がこうなって欲しい
  天竜川でこんなことできたらいいな
  天竜川の気持ちはこんなです
  天竜川ともっと仲良くして欲しい
  天竜川をみなさんにこうして欲しい
  こんなテーマでお寄せいただいたメッセージのなかから、掲載させていただいています。



天竜川の思い出

御前崎市 繁田一雄

 旧天竜市に末娘が嫁いだのは、今から20数年前。その時から、妻を乗せて何度天竜川沿いの道を走ったことだろう。私の住む町から娘の家まで約一時間半。天竜川が見えてくると、「やれやれ、 もうすぐだ。」と思ったものだ。
  初孫が生まれてからというものは、孫の顔見たさに走った。その孫を、時には我が家で預からせてもらうこともあった。車の中、片言で「マドニ ニシビガアタルヘヤハ」と歌いだし、びっくりするやらおかしいやら。そんな風に孫を乗せてのドライブはいつも私たち夫婦を楽しませてくれた。
 その孫も、昨年春社会人となった。私たち夫婦も年老いて、天竜まで車を運転する元気はなくなったが、今は孫が天竜川沿いのあの道を私たちに会いに来てくれる。
 天竜川と聞くと、車の中でコロコロと笑っていた孫の顔と一緒に、雄大な流れと夕日に輝く川面を懐かしく思い出す。



天竜川を流域全体の財産に!

浜松市 伊藤美津子

 天竜川―それは私の心の栄養源である。
 場所によって、また季節によってその姿を様々に変化させる川を見ると、自然と素直になれる。下流域に住む私にとって、上・中流域はまさに別世界。静けさが漂い、山の間を青く澄んだ水がくねくねと流れていて、とても神秘的である。いつも見慣れたこの川と、本当に同じものかと何度も疑った。天竜川の別の一面を知ることができて、自分の知らない天竜川をもっともっと知りたくなった。
 天竜川―それは流域に住む人々の共有財産である。自分の地域だけでなく、上・中・下流域それぞれの持つ魅力を互いに知り、流域全体のものとして大切にしていけたらいいなと思う。



天竜川に皆さん思い出秘めている

三島市 高田由美子

 兄と行った森
澄んだ空気を深呼吸 鷹は大きな輪を描き 小鳥は仲良く歌ってた 沢蟹捕えた兄さんは元気でねよと逃してた
 父と行った川
水面にうつる空と山 瀬音奏でるその中に 鮎のうろこが光ってた 最初に釣った一匹を 無口な父さん放してた
 母と行った里
遥かに伸びる堤には 綺麗な花が咲いていた 野菊なでしこ女郎花 母さん一輪わが髪に おリボンですよと 付けられた
 四季折折に来てみると 遠い思い出蘇る 天竜川はわが家族 だけど皆さん守ってね 皆んなであなたを守ります
 天竜川は皆んなの家族



出征の天竜川鉄橋で初恋の人よ!!さよなら

掛川市 佐藤秀男

 昭和十九年一月十九日中遠鉄道始発駅新三俣で構内を埋めた村人の万歳に送られた二十歳の私は、他町村の現役兵要員らと袋井駅で合流し下り列車に乗った。これからどうなるのか、生還できない覚悟はしたものの万感胸に迫り、誰もが無口だった。ゴトンと列車は中泉駅(現磐田駅)に停まる。初恋の彼女は中泉駅北側の商家の末娘。若い男女が二人連れだと「戦地の兵隊の申し訳ない 非国民だ」と怒鳴られた時代ゆえ文通が精一杯だ。天竜川鉄橋通過の時、中泉方向へ頭を下げ、「さよなら お達者で」決別の声は轟音で消された。計らずも無事復員した現在、天竜川鉄橋通過の都度決死の思い出が脳裏に甦ります。



天竜川を利用した観光

浜松市 加藤たけよし

 天竜川を利用した観光を考えてみた。浜松市中野町で、いま建設中の鉄橋がある。従前からある二本の橋の真中へ、もう一本造るのだ。それも殆ど隙間がないほど接近している。下流から数えると掛塚橋、新幹線、在来線に前記の三本の天竜川橋、東名高速橋へ次いでかささぎ橋、浜北大橋と続いて計九本だ。
これを利用する手はないか?
大いにある。上流の舟下りとは逆に、太平洋に近い下流からジェット船を出して、この橋の下を、回りの景色を眺めながら、「いまは○○橋、次は××橋」と説明。上流へ、上流へと上るのだ。観光客が押しかけることだろうと自画自賛中。



わたしたちが守る天竜川

浜松市立和田小学校4年 間瀬菜月

 ごめんなさい、わたしたち人間がダムを作ってしまったために、天竜川のアユやサツキマスのようなたくさんの魚たちが消えかけている。
 ごめんなさい、わたしたち人間の生活はい水や捨てたごみのせいで、天竜川そして海をよごしている。
 でもダムはやめられない。ダムのおかげで生きているのは、わたしたち。生活はい水は少なくすることができる、ゴミは拾うことができる。
 天竜川をすくえるのは、共に生きてるわたしたちだけ。たとえいますぐできなくてもわたしたちのまごのだいまでかかっても必ず生きかえらせてみせるからまっててね。



天竜川へ

浜松市立和田小学校4年 金田ユカ

 天竜川へ、もっとかがやいていてきらきらした天竜川にしたい。
魚でも水生生物でも植物でも鳥でも住みよいくらしをさせたい。
春でも夏でも秋でも冬でもきらきらとかがやいている天竜川にしたい。
いつまでもきれいな天竜川だといいな。
世界一かがやいている天竜川にしたい。
みんなで天竜川を見守っていたい。
だからみんなで、大切にしたい。
いつまでもかがやいてほしい。



ぼくたちにもできること

浜松市立和田小学校4年 長田大将

 天竜川へ伝えます。天竜川には「アユ、アマゴ、ヌマチチブ、ヨシノボリ、スジエビ、ナガエビ」などのせい物がいっぱいいます。
 でも、環境が、よいのか、よくないのかで、魚や水生生物がいなくなっています。
 だからぼくは、「天竜川を大切にしよう。」と、思いました。でもどうやって大切にするかを考えて、考えついたのは、「ごみをすてない。」と、考え、天竜川に行く時、ゴミぶくろを2ふくろもっていき、遊ぶ前に1回、ゴミが落ちてないかさがして、遊んだ後にもう1回落ちてないかを見れば、ぼくたちにもできる仕事です。みなさんにこうやってほしい。



「夢に向かって」

浜松市細江町 加藤雅子

 家族や友達に後押しされ毎日頑張っています。時には意にそぐわない事も多くありますが、そんな時「ふるさと」の景色が、私を癒してくれます。潮の香漂う浜名湖、どこまでも続く砂丘、四季色を変える山々、そして遥々信州から流れて来る天竜川です。時に厳しく、時に優しく私の心に語りかけてくれます。この川で新たな「夢」に向かっています。緊張の中ベテラン船頭さんから講習を受け、青空の下、手に櫂を持ち奮闘中です。自然の中に身を置き、素直になれる自分を幸せに感じています。
 試験は終わり結果待ちですが、天竜川を眺めふるさとへの思いを語れる仲間が又、増えたことに感謝しています。



「天竜川の恵みに感謝」

浜松市 北野幸子

 今年の春、友人と蕨摘みにでかけました。友人はご主人とお姑さんを亡くしてから、住み慣れた家と山林を残して息子さん達と町で暮しています。今でも女手一つで山林の見回りに行きます。ゴミを焼いた灰を南京袋につめていき、杉や檜の根元に一掴みずつ施しながら、外国産に押されて山の木は安くて売れないとこぼしながらも、血も肉もこの山が育ててくれたといいながら、山林にかける愛情は涙ぐましいものです。たちまち手にあふれるほどの蕨、そして山の空気に触れる中、 「金原明善は何をした人」「天竜川は諏訪湖から」と、子供の頃のカルタを思いだし、改めて天竜川の恵みに感謝し、資源を大切にしていきたいと思います。



「旨かった天竜鰻」

藤枝市 渡邉吉男

 昭和十三年、私は尋常小学校五年生の遠足で、天竜川左岸駒場灯台に遊んだ。広い河口近くで水量豊かで、流石流長二一三粁わが国屈指の大河であった。更に、遠州灘海岸に寄せ返す永劫回帰の大濤に、渥美湾の漣しか識らなかった私には正に愕きであった。
 戦雲急を告げる同十八年、私は今は亡き両親と天竜川右岸、二俣町鹿島橋橋畔の川に迫り出た料亭で鰻重を戴いた。味はやや淡白ながら、それは迚も旨かった。同町は同四十七年に天竜市として市制を施行した。因みに、手許の地方紙発刊の書籍にも、同市紹介記事の名物に「ウナギのカバ焼き」が記されている。―あの日から、既に六十二年の杳かな歳月が流れている。天竜川は愛しい川である。



「ゴミの不法投棄はやめましょう」

磐田市 半場文夫

 私は69才なる男、天竜川の東岸のほとりに住んでいます。健康増進の為、天竜川河川敷に時々、ウオーキングに行きます。 天竜川のような大河は人間に様々な恩恵を与え人類繁栄の基となっています。これは、現代、未来、永劫に続くでしょう。この事実は歴史が証明しています。
 しかるにごく一部のルールを無視したモラルの欠如した人間の不法投棄により、河川敷には大量のゴミが散乱しています。目に余るものがあります。個人ではどうする事も出来ない悲しさ・・・天竜川は一部の人間のエゴに泣いていることでしょう。
 「天竜川さんゴメンナサイ」
 私は又河川敷にウオーキングに行く時は、ビニール袋を持参し、ゴミの中から、ビールやジュースのアルミの空缶を拾いだし、自宅に持ち帰り水洗いし、近くの授産所へ提供しています。健康の続く限り実行したいと思っています。
 昔の人は言いました。人間悪い事をすると必ず「バチ」が当たると。誰も見ていないと思っていても、どこかで神様が見ていると。
 自然の恩恵を忘れ、社会のルールにはずれた、ゴミの不法投棄は絶対にやめましょう。



「自然の学校」

磐田市 伊藤正則

 私は天竜川が好きだった。少年の日々、天竜川は、いつも私のぞばにあった。
 水の温かさ、冷たさは季節を感じさせた。石の感触、流れの変化、深みのスリル、それらが体の奥深く、いつまでも残っている。
 天竜川は、笹舟や木片を集めて作る船の実験場だったし、昆虫や野草の図鑑の役割もはたしてくれた。
 青年になった私は、天竜川としばしば対話した。また、ひとりで思索にふける所でもあった。こうして、私は天竜川で遊び、泳ぎ、語りかけて成長した。
 天竜川は、私にとって遊びの原風景であり、自然の学校であり、恩師である。
 天竜川よ。永遠なれ!



「川の思い出」

浜松市 澤木壽美

昔よく川へ行った
兄の背を追い川へ行った
魚を捕り虫をみつけ
何と楽しい日々だったろう
水の冷たさ温かさを感じ
何と実りの多い日々だったろう
あの川は今どうしているのだろう
そんな川を子ども達にも残したい



「天竜川賛歌 川は奏でる」

三島市 高田昇

万古の流れ 天竜は
 やさしく時には 逞しく
歴史を刻みて あざやかに
 清しく澄める 水匂ふ
四季彩のせて 流れゆき
 山の緑を 美しく
里の大地を 育みて
 街に吹く風 さわやかに
我らの暮し 生きいきと
 輝く希望 わいてくる
豊かなる川 天竜よ
 かの山この里 我が街に
奏でよ響けよ とこしえに



「天竜川の思い」

袋井市 鈴木郁子

それは、私が小学6年生の時、春も終りつつある日、掛塚という町へ、東栄町から引っ越してまいりました。 川といえば、狭い川ばかり見ていた私、6年生の目には天竜川の大きさ、広さ、海へ注がれる川はとてもびっくりしました。 そして毎日、天竜川を渡り青春の日々を共に成長してまいりました。 いつも荒れることもなく穏やかな川も大雨が降れば、あの広い川幅も雨でいっぱいになり橋をも流したおそうとしているそんな川も私たちと一緒に生きている海へ向かって、でもいつまでも荒れることなく安らかに私たちを見守ってほしいです。 かわることのない天竜川であってほしい、穏やかに私たちの心をいやして、それが天竜川への思いです。



「初めての川下り」

榛原郡吉田町 鈴木好美

今年の10月初め、家族で浜名湖へ旅行した際、天竜川の川下りを楽しみました。とてものどかで景色も良く、船頭さんのお話も楽しめました。春にはさくら、夏には花火、秋には紅葉が楽しめるとの事。また訪ねられたらいいなと思いながら家に帰ってきました。同じ県内に住みながらも川下りははじめての経験、浜名湖線の電車もはじめてでした。近くにも、こんなにもすてきな場所がある事を知り、うれしく思いました。



「潤いを与え続けてください」

浜松市 鎌倉心酔

今は亡き父と8才の時に中の町を通って、磐田の市場へ行く用事があって、初めて天竜川を渡りました。 大型貨物トラックが通り過ぎる時には、橋が揺れてこわかったのですが、でもつり橋と同じようにスリルを味わうことができたようです。昭和31年頃にどのようにして渡ったかというと、自転車の後ろにリヤカーをしばりつけて、なんとまだ幼かった私がただ天竜川を見たくてたまらなくて親にせがんで乗せて連れて行ってもらったという記憶があります。 リヤカーのタイヤのところにチョッコリとつかまり、立ったりしゃがみ込んだりして、何回も何回ものぞくようにして見ることができたのです。 “これが天竜川なんだ”と胸の内に刻み込むようにして、みたものの内心は水流のこわさと川の巨大さに恐怖を感じました。 大井川と比べると急流ですがフルフル元気の強力パワーを持った、そして清い川だと思います。 いつまでも私達に潤いを与え続けてください。 そして、疲れた人々をいやし続けてください。 最後に天竜川の水辺に香魚(鮎)と合わせてラベンダー(香りの花)の香りがただようような散歩道があったらと考えている今日この頃です。 みんなが誘い合って集まり休める郷ができたらと思います。



「ありがとう ごめんね」

浜松市 花島小春

  天竜舟下りで自然って大切だなと思わせてくれる天竜川。魚が小さく見える程大きな天竜川。毎年行われる鹿島の花火大会。とても綺麗で心の底からみんなを楽しませてくれる。 本当に素敵な川。「ありがとう」  それなのに、こんな素敵な川の事など何も考えないで、ごみを捨てて行く人。釣りをする時に使う糸や重りによって魚達が死んでしまう。本当に天竜川に「ごめんね」という言葉、そしてそうやって天竜川を汚す人達に対し私は物凄く主張したい。「もっと天竜川を見て、もっと天竜川を愛して」と何度も何度も気が付いてもらえるまで主張したいと思いました。 「天竜川、ありがとう ごめんね。」



「天竜川に魅せられて」

浜松市 鎌倉心酔

 天竜川流域の四季の移ろいは、まさに目で見る演歌の情景です。春の川面を彩る、山吹の黄金暖簾、夏の岩場に艶やかに香る山百合の花、秋、渓谷の崖に張りつく蔦紅葉、冬の墨絵の様な雪景色等この素晴らしい天竜路の風情に私は何時も心の中で有難う・・・・・・感謝して風情を満喫します。岩間に出ると岩清水が沢に、小川にそして天竜川へ、大河と成って海へ。天竜川流域の四季を満喫出来浜松市民に誇りすら感じます。又佐久間、秋葉、船明等ダムのもたらす経済効果も天竜川の永久のプレゼントです。川を愛し自然を愛し心癒されて人生を謳歌しましょう。天竜川は幸せのカンフル剤です。



「川の大切さ学ぼう」

浜松市 久保田千恵

 長野県は、脱ダム宣言を掲げているが、公共事業の無駄使いが故の議論で、発電や治水の問題を考えればダムの必要性は自明の理である。  今大切な事は、将来の地球環境を総合的に考え、植林等を通じ山を守り、日本人はあまり意識しないが空気や飲水の大切さをまず「川」を通して学ぶことである。  かつて、川は交通手段として先祖の生活に寄与したが、今や洪水や海の汚染を招き、地球環境を破壊しかねない。川遊びやスポーツの豊かな時間を守るだけでなく、災害や環境悪化を防ぐべく、「川」を通じて今私達は何ができるのか真剣に考え、それを実行していく義務がある。



「いつまでもなつかしい天竜川」

浜松市 橋本俊和

小学何年生で泳いで天龍川を渡れるか?親や先生に見つかればどんな結果が待っているか?その頃の近くの小学生の隠れたテーマだった。腰紐にタオルを巻きつけただけのふんどしだけで、上級生たちのあとにつづく現在の船明ダムから1KM下流の渡ヶ島地先の右岸。 ここの川原を上流目指して歩く。おおよそ5百M上った辺りで上級生がおきに向かって泳ぎ始める。小学3年生の私もおそるおそる後につづく。先ず始めは平泳ぎ、川幅は約200Mダムの無かった当時の川はおおど色の流れも速くもぐれば底は砂の流れるジーンと言う音が不気味であった。対岸目指して夢中で泳ぐ。歩いた距離の500Mを費やして左岸に泳ぎ着く、いや流れ着いたのだ。対岸には500Mの川原は無い、止むを得ず帰りは3KMの道を徒歩で帰る。当時早い子は小学1年生で渡った者も居た。今は孫も居る歳になったが天龍川はいつまでもなつかしい。